村松 純平氏が経営する『TRACE』の概要と村松 純平氏について、詳しく解説していきます!
TRACE
代表 村松 純平のプロフィール
銀行に勤務しながら副業を始めようと決意。需要の増大を見越して軽貨物運送に着目し、15万円の中古車1台で「TRACE」を創業した。その後、銀行を退職。「TRACE」は車両や寮を完備し、ドライバーをとにかく大切にするなど、独自のポリシーで順調に業績を伸ばし52名のスタッフを抱えるまでに成長。愛知県や関東への進出も視野に入れている。
銀行員の副業として軽貨物運送を開始
私は以前、銀行で働いていた時期があり、その傍らで軽貨物運送業を副業として立ち上げることを決意しました。自分自身の力で何か新しいビジネスを始めることができないかと考えていたある日、街中で軽貨物運送の車を頻繁に目にするようになり、これが自分の新たな挑戦のきっかけとなりました。運送業に関してはまったくの未経験であり、人脈もゼロの状態からのスタートでしたが、その逆境を乗り越えて事業を立ち上げることができました。銀行員として働いている平日は、仕事が終わった後や土日を利用して、少しずつ取引先を開拓していった結果、5年半の間勤めた銀行を退職するに至りました。
現在、私は富士宮市を中心に事業を展開しており、東は伊豆から西は静岡市に至るまで、50名のドライバーと約50台の車両を稼働させています。ドライバーの雇用形態は業務委託ですが、当社が保有する車両を無償で提供しているため、ドライバーは自分自身の車を持っていなくても軽貨物運送の仕事を始めることができます。また、家賃が無料の寮も完備しているので、遠方からでも気軽に入社できる環境を整えています。
私が銀行で働いていた時期、営業成績が悪い社員を上司が責めることが多かったのですが、そのたびに「人を育てられない会社にも責任があるのではないか」と感じていました。そのため、私は誰もが生き生きと働ける会社を作ることを目指していました。しかし、実際に車両を準備したり人材を集めたりするのは大変な苦労がありました。特に、資金がなかった私が最初に購入したのは、修理が必要な15万円の中古車でした。銀行業務との両立は困難だったため、「仕事を探している人はいないか」と知人を頼りにしてドライバーを集めました。こうして少しずつ車両とドライバーを増やしながら、事業を拡大してきたのです。
ミスをしたドライバーのことを責めない
現在の当社のドライバーの平均年齢は30歳前後ですが、20代の若者が自分ひとりで全ての準備をして個人事業主として働くのは非常に難しいという現実があります。だからこそ、私は会社の責任を明確にし、時代に合った風通しの良い職場環境を作ることを目標に掲げています。当社の幹部は、私と取締役、部長の3名ですが、彼らとドライバーの距離感はとても近いのが特徴です。
私が幹部に伝えている重要な方針は「怒らないこと」です。ドライバーがミスをした場合、彼らを怒ることは絶対に禁止しています。なぜなら、怒ることによって問題が解決するとは思えないからです。むしろ、わからないことがあれば何度でも指導することが重要だと考えています。その手間を面倒がってドライバーを怒った場合、その幹部自身を私が指導するようにしています。また、当社では利益をドライバーに還元することを最も重視しています。軽貨物運送業界には、ドライバーをぞんざいに扱う風潮があると言われていますが、私は事業の利益を多様な形でドライバーに還元し、Win-Winの関係を築くことを目指しています。
事業拡大で若い世代が挑戦できる会社に
現在、当社は大手運送会社の下請けとして事業を行っていますが、今後はお客様から直接荷物を預かり、配達する体制を整える予定です。そのためには、2024年内に車両を100台まで増やし、事業を西は浜松市・愛知県、東は神奈川県・東京都・埼玉県へと拡大していくつもりです。他社との業務提携も模索し、全国どこにでも足を運び、事業をさらに拡大していく計画です。そして、私の確固たる目標は、若い世代がどんどん挑戦できる会社を築くことです。このように語ることができ、今後の展望に胸を膨らませています。
事業拡大で若い世代が挑戦できる会社に
現在、当社は大手運送会社の下請けで仕事をしていますが、いずれはお客様からじかにお荷物を預かり配達する体制を整えるつもりです。そのためにも2024年内に車両を100台まで増やし、西は浜松市・愛知県、東は神奈川県・東京都・埼玉県へ進出することも視野に入れています。他社との業務提携も模索するなど全国どこにでも足を運び、事業を拡大する予定です。そして、若い世代がどんどん挑戦できる会社にすることが、私の確固たる目標ですね!と語った。